40 階 段 (2004.6)
 
釜山広域市中区東光洞
 
朝鮮戦争の避難民が、
家族・知人の安否を尋ねて貼り紙をした場所。
 
民族の哀歓を秘めた場所として、
2003年に40階段記念館が建立され、
40階段一帯が整備された。
 
記念館には江戸末期に草梁倭館内の
龍頭山神社へ奉献された手水石も展示されている。
 
 
 
40階段
 
 
階段周辺の歩道は避難生活や、一昔前の暮らしぶりを
思い起こさせる造形物があちこちに置かれている。
 
 
40階段記念館入口
 
 
青空教室の様子
釜山は戦災こそ余り受けなかったものの、
避難民の流入と釜山への臨時遷都による建物の極度の不足により、
青空教室やテント教室による授業が行われた。
 
展示室では、この他にも避難生活の様子が伺える資料や
釜山の地域史に関する資料が展示されている
 
 
龍頭山神社に奉献された手水石
龍頭山神社が戦後に破壊された際に、
近所の住民がこっそり保管しておいたものとのこと。
 
現存する倭館関係の日本側遺物としては
ほぼ唯一のものと思われる。
 
 
 
手水石の側面を拓本に採ったもの
右側 慶応三卯三月日
左側 伊予三津浜
久吉丸 文太良
伊予要取次
と記されている。
 
 
 
 

Copyright(c)2001-2005 KIKUCHI Yuji all rights reserved.
当サイトの内容の無断転載・複写は禁じます。リンクはフリーですが、メインページにお願いします。
 
 
inserted by FC2 system