釜山 富民洞 旧慶尚南道庁 庁舎(2002、04.2)
 
登録文化財第41号 釜山臨時首都政府庁舎(2002年指定)
釜山広域市西区富民洞
 
 
慶尚南道の道庁として建設され、1925年に完成。
完成と共に晋州から釜山に道庁所在地が移転した。
朝鮮戦争時(1950〜53年)には臨時政府庁舎となり、
1983年の道庁・昌原移転後は
釜山法院(裁判所・検察)として使用された。
2002年から東亜大・富民キャンパスになり、同大学の博物館に改装された。
 
 
建物背面。上空から見ると「日」の字に見えるため、
日本の陰謀だとして撤去を求める声もあった。
ソウルの大日本伝説(大=北岳山、日=朝鮮総督府、本=京城府庁舎)と同様に、
釜山にも大日本伝説(大=釜山刑務所、日=慶尚南道庁、本=釜山府庁舎)があり、
ソウル同様、上空から見た場合、文字の角度がバラバラな上、
「大」や「本」はかなり無理があるのだが、
マスコミが解放50周年ごろに「事実」として大々的に報じたため、
市民の間では根強く信じられている。
 
 
しかし、文化財登録に際しての調査の結果、
建築当初は「一」字形であり、その後増築され、
最終的に「日」字形になったのは解放後であることが明らかになった。
 
 
そのため、2002年9月に登録文化財(41号)に登録された際は、
建築当初の「一」字部分(正面部分)のみが登録の対象となり、
後に増築された部分は、博物館への改装時に撤去された。
写真は撤去工事の様子(2004年2月)。
 
 
慶尚南道庁と同時期に建てられた武徳殿。
臨時政府庁舎時代には臨時国会議事堂として
使用された建物だが、
東亜大学キャンパスへの改装時に取り壊されてしまった。
写真は撤去工事の様子(2004年2月)。
 
 
武徳殿の瓦
 
 
日本統治期の慶尚南道庁舎の様子。
韓服を着た男性で朝鮮らしさを演出する一方、
自動車で近代性を強調するという
当時の絵葉書によく見受けられる構図。
右上には「慶尚南道は半島中で面積の狭いこと第三位、
然し海岸線の屈曲多く山河も適当に分布し原野開け
産物豊かに人口の密度は各道中第二位、
之を統轄する道庁亦(また)格好の位置にある」と記されている。
また、右下には「鎮海湾要塞司令部検閲済」とある。
当時の釜山・鎮海一帯は軍事上の重要地域として、
地形図は白く塗りつぶされ、市街図等もすべて検閲を経たものになっている。
(写真出典:文化財庁)
 
 
なお、博物館への改装前は、
雰囲気のある古い建物で空き部屋も多いため、
映画やドラマのロケ地として大人気だった。
2002年の訪問時、映画「二重スパイ」(日本では03年6月公開)の
撮影をしていたので、主役のハン・ソッキュと記念撮影^^
 
 
 
 

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