蔚 山 倭 城(鶴 城)(2004.6、2009.8)
 
蔚山広域市文化財資料第7号 蔚山倭城(1997年指定)
蔚山広域市中区鶴城洞
 
 
慶長の役の際、加藤清正が明朝連合軍と
馬を殺して飢えをしのぎ、小便で渇きを癒す凄絶な籠城戦を繰り広げた城。
 
日本統治期に古蹟に指定され、解放後も「史蹟9号蔚山鶴城」として国指定史蹟であったが、
1997年の「日帝指定文化財再評価」により地方文化財に格下げされた。
 
 
蔚山倭城がある鶴城公園の入口。おじいさん達がくつろぐ普通の公園。
 
 
案内板。韓英日の3カ国語で書かれている。
朝鮮軍の死者1000人、明軍の死者4800人、倭軍の死者6000人と書かれているが、
戦闘の経過を考えると数字がおかしいような…。
 
 
三丸跡碑。日本統治期のものだろうか。
 
 
石垣の保存状態はあまり良くない。
以前は雑草や木々に埋もれ、歩道から確認できるのはごく一部だった。
 
 
付近の忠烈祠から見た蔚山倭城
石垣がほとんど見えないこともあり、2008年末には
「何も残っていない日本の城跡のために、なぜ様々な制約を受けなければならないのか」
として、付近の住民たちが文化財指定解除を求める住民運動を起こした。
 
 
こうした動きに蔚山市文化遺産解説士の金青子(キム・チョンジャ)さんが
「ちゃんと石垣を見えるようにして文化財としての価値を伝え、
その上で判断してもらおう」と決意し、
1人で雑草を抜き、視界を遮る木々を抜くために区役所に陳情を重ねた結果、
2009年夏には遊歩道からも大きな石垣の遺構(上写真)を眺められるようになった。
 
 
城の頂上から太和江を見下ろす。
 
 
公園には秘密結社・大韓光復会の総司令官・朴尚鎮(1884〜1921)の記念碑も。
 
 
 
 

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